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日記形式でつづる いがぴょんコラム ウェブページです。
私はバイオリンで、オーケストラのクラシック音楽を演奏することを趣味としています。演奏していると、音楽と言語との暗黙の関係について考えさせられる場面があります。ちょうどいまドイツ作曲家の曲を扱っているので、ドイツ語を例に想いを巡らせてみます。
特に歌詞のある音楽では、言語の強勢、長さ、音節構造と拍との対応が重要です。歌詞のない器楽へ広げる場合は演奏解釈になりますが、ドイツ音楽を例に取ると、ドイツ音楽にはドイツ語の感覚がどこかに残っているように感じます。 日本語は、単純に「母音が特徴的な言語」と表現するより、モーラがリズムの基礎にあり、基本的な音の形が CV または V に寄る言語、と考えるほうが正確なのだそうです。C は子音、V は母音です。たとえば「か」は CV、「あ」は V です。日本語では、基本的なモーラにおいて、子音があれば、そのすぐ後ろに母音が続く形が中心になります。
一方、ドイツ語では、母音の前に複数の子音が連なることがあります。
第九の有名な Freude は、標準的な発音では、おおむね [ˈfʁɔɪ̯də] となります。強勢は第一音節の Freu- にあり、母音核 [ɔɪ̯] より前に子音連結 [fʁ] があります。
母音の立ち上がりを拍にそろえる歌唱では、この [fʁ] を拍より少し前から準備し、母音核 [ɔɪ̯] を拍の位置へ置く感覚になります。日本語で「フロイデ」と表記すると、「ふ・ろ・い・で」というモーラの並びに見えてしまいます。しかし、ドイツ語の実際の音の組み立てとは異なります。「ふろ」までを拍より前へ出す、というより、子音連結 [fʁ] を拍より前に出して、母音核を拍へ置く、と考えるのがよさそうです。
ここからは話をバイオリンの音色の話題に進みます。
私には、弓と弦の摩擦に由来する擦過音やノイズ成分を避ける方向へ引っ張られる癖があります。日本語を母語とする人全般に当てはまるかは分かりません。少なくとも私自身には、その傾向があります。
そのため、バイオリンを弾くときには、子音的な擦過音を単に許容するだけでなく、積極的に出すよう心がけています。そうしないとドイツ語的なサウンドにならないのです。そう心がけていてさえ、「音をきれいにしよう」として、ノイズを避ける方向へ引きずられます。
そもそも、何をもって「音がきれい」と感じるか、その基準自体が、母語として身についた音の感覚に引きずられているのかもしれません。今のところ、これは私自身の演奏経験から感じている仮説です。
楽器、馬毛、松脂を選ぶときも同様です。かなり強く擦過音を指向しておかないと、いつの間にか、それを避ける選択をしてしまいます。
さらにややこしいのが、舞台上で聞こえる音と、コンサートホールの客席で聞こえる音は同じではない、ということです。
私の経験では、ある程度の規模のコンサートホールでは、舞台上で感じる擦過音や高次倍音の多くは、客席では同じ輪郭のまま聞こえません。その一方で、椅子の足が擦れる音や、鉛筆を落とす音は客席まで届きます。
だから、客席で聞こえる完成後の音を、舞台上でそのまま出そうとしてはいけないのだと思います。舞台上で聞いて心地よい音だけを選んでいると、客席へ届くまでに、音楽に必要な子音や輪郭まで失ってしまうのかもしれません。
自分が「きれいな音」と感じる基準や拍の捉え方をいったん疑い、音楽が生まれた言語の子音、母音、強勢と、客席へ届くまでの音の変化を意識しながら、舞台上で必要な音とタイミングを作っていきたいと思います。それを周辺の人たちの演奏と乖離せずに実現するのが難しいんですけれどもね。
Last modified: $Date: 2026-08-13 $